タカツテムの徒然雑記

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AIの遺電子 第10話感想

第10話来るべき世界

社会を支配する超高度AIに疑問を呈するEP
超高度AIの運用は信頼に拠って成り立っている為に人々は無意識的に超高度AIを信じている。AIなら間違いないと考えている
逆に言えばAIに歯向かう者は社会のはみ出し者になる。それがテツヤや勅使河原になるのかな?

テツヤに殺されそうになった女性は紙幣を差し出し逃れようとした。紙幣とは社会における信用取引により成り立つ。社会を支配する超高度AIに挑むテツヤに効く筈がない
取り調べでのテツヤの発言は支離滅裂と思えるが、終盤の言い分を聞くと見えてくるのは彼自身がバタフライエフェクトを狙っているのではないかという点

そう考えると、殺害シーンや恋人との会話は理知的に感じられる。彼はそこまで狂っているとは感じられない
AIにより殺人の方法や動機は判明するだろうけど、彼の主張である超高度AIが正しい存在かをAIは教えてくれない
結局、彼は社会から抹殺される。それを見送った須藤は何を思うのか…

勅使河原の活動を詐欺と疑う中野は彼女を社会から爪弾きにすべきと考えている。その為の告発
AIによって社会は管理されようと死後の世界は社会に含まれない。それを説く勅使河原は全てを詳らかにするAI社会に反する存在、信用すべきではない
でも未知が未知のままでは救われない者が居るなら一種の必要悪

ヒューマノイドにも等しく訪れる死をひっくり返すのは勅使河原に言わせれば「人を不死にするより難しい」。神が定めた人間の死より難しいMICHIの仕組みだなんて、それではまるでMICHIは神を超越した存在かのよう
今回のEPを見ると、超高度AIを信用する・スピリチュアルを信用する。両者に果たして違いなんて有るのだろうかと考えてしまうよ