タカツテムの徒然雑記

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B.A.D. 2 繭墨はけっして神に祈らない 感想

ゴスロリと唐傘で身を纏うあざか、白い着物で彩り扇子で会話する白雪というデザイン面で水と油並みに相性が悪そうなのに、その二人が空飛ぶ赤い金魚と関わる事で妙にバランスが取れているように思えるって不思議


第1巻が導入部として小田桐が自身の在り方とどう向き合うかを描いた物語だったなら、今回は彼が自身の在り方を踏まえて他者の異常とどう向き合っていくかが描かれた物語となったのかな

今回関わる事になった水無瀬の一族は能力者一族らしい集団だね
筆で描いた文字が浮き上がり動物としての実態を取り、敵に襲い掛かる
それだけなら格好良い能力者と言えなくもないけど、異能者を生み出す一族なんてまともである筈がなく。その異常性を一身に受けてしまったのが当主である白雪であり、その兄の白峰と言えるのかな

異常性を意図的に詰め込まれた白雪はそれこそ藻掻き苦しんでいる。望んで得たわけでもない境遇で、それでも責務だけは果たそうとする
その在り様はあざかとは真反対とさえ言える代物だね
自身は生まれながらの繭墨あざかだと宣う彼女は自身の境遇を嘆かない。白峰から命を狙われても恐れない
小田桐はそんな両極端な異能者を見比べる機会となったわけだ。その体験は異能者が味わう苦痛とは何かを考えさせる機会となる

そう捉えると亜城との出会いと衝突は彼にとって大きな意味を持つような
異質な人間性を持ちながら異能者ではない人間として異能者を利用する亜城は小田桐を異能者と呼び蔑む
亜城を嫌悪できる小田桐は確かに異質な人間性ではないだろうが、嵯峨がしたかもしれない罪には何も言わなかった。そもそも鬼を孕んでいる時点で普通とは呼べない
その様は多かれ少なかれ彼に異能者とはどのように生きるべきかを考えさせるものと成るね

その点が活きてくるのが最終局面かな
兄との戦いを通して死のうとした白雪を許さない小田桐の在り方は彼の信念を反映したもの
異能者としての生き方も一族の事情も安易な死も許す事なく、どこまでも普通な信念の下に白雪を庇ってみせた彼は自身がどのように他者を関わるかを定められたような気がするよ

だからこそのラストの台詞なのだろうし
ただ、それがどうしようもなく白雪を魅了してしまったのは今後においてどう活きてくるのかな?というか女性関係で酷い目に遭った彼は異能者としての白雪の前に、女性としての白雪とどう向き合うのかという問題も有るが


時折、コメディタッチな表現は含みつつも本作の大半は血みどろ成分過多な印象なのだけど、そんな本作において異質ながらにギャグの塊『神』が登場した一連のシーンにはやはり笑ってしまう
あれを生み出してしまった幸仁って別の意味で凄い気がするよ…(笑)