第二部になってから咲太の日常を侵食しているのか全く侵食していないのか判らない『霧島透子』問題
それでも何かしら進展していると思えるのは、この巻で出現した要素がこれまでに咲太が関わってきた思春期症候群の積み重ねであると感じられるから
そう思うとこの巻はそれらの区切りが描かれた巻になったような。まあ、事前に想定していた形とは幾らか違ったけど…
集団催眠のように多数の若者が見た未来と思わしき夢
これは中々の曲者だね。夢なんて本来は自分の頭の中にしかない幻想。でもそれを他の人間が同時に見たとなれば幻想と扱われなくなる。夢は事実として皆が認識してしまう
人々に流布され事実として扱われてしまった噂の厄介さは本作で何度も描かれてきたもの
その中心に謎の霧島透子が居るのだから更に厄介な話
前巻にて示唆された霧島透子の正体
これを単純な意味で受け取っていたのだけど、美東や双葉のコメントに拠って少しずつ認識が変わっていく流れには痺れてしまったなぁ…
岩見沢寧々という人物は霧島透子と名乗った。だから作中の人物達も読者も彼女を霧島透子と扱ってきた。その前提が崩れるなら、彼女は噂に拠って霧島透子に成ったのか、自ら霧島透子に成ったのかという疑問が湧いてくる
霧島透子ではなく岩見沢寧々という人物に迫る必要が出てくる
桜島麻衣など別の人気者登場に拠って立場を失った元人気者。そんな者達が縋ったのが姿の見えない別の人気者か…
霧島透子みたいな人気者を真似てみようとまでは可愛げが有っても、その人そのものに成り変わろうなんて考え始めたら窮屈なもの。そして、窮屈な自我に人気者でなく成った自分は居られない…
大事なものや自分を支えてくれる人との繋がりを失ってまで霧島透子に成ろうとした人々はどうしても哀れに見えてしまう
その意味では捨ててしまった筈なのに、自分を思い出し追い掛けてくれた福山が居た岩見沢寧々という人間はまだまだ捨てたものじゃなかったのだろうな。だから福山を契機に岩見沢寧々として戻ってこれた
なら麻衣を目指してイベントに集っていた無数のサンタクロースが正気に戻れたのも似たような理由なのかもね
突然の事故、流血した男性、「落ち着け」の言葉。それらはショックを与えて自我を揺さ振るには充分すぎる出来事。精神が不安定に成れば真っ先に頼るのは長年付き合ってきた自分という自我
彼ら彼女らにとって見えもしない霧島透子よりも今此処にいる自分に頼った方がとても健全
偶発的なショック療法が結果的に麻衣やサンタクロース達を窮地から救ったわけだ
事前の緊迫感に反してミニスカサンタクロースに始まった一連の異変は一つの着地点を見出したと言えるわけだけど、よくよく考えるとかなりの謎が残ったままな気が…
麻衣や寧々は何故夢を見なかったのか?夢で見た光景は未来かもう一つの可能性の世界か?本物の霧島透子は何処に居るのか?
数々の謎を残したままクライマックスへのターニングポイントと呼べそうな4月1日を迎えるのは正直恐ろしさの方が勝る。本作はこれから何処へ向かおうとしているのだろうね?