タカツテムの徒然雑記

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『ボストン1947』 感想


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オリンピックや国際大会におけるスポーツはその支援体制によりどうしても国家という概念が出場選手に伸し掛かる。それは良い面もあれば悪い面もある。本作ではその概念がユンボクの活躍を以って朝鮮は此処にあると示す行為に直結しているね
個人としての自己実現より国家体制的な概念が先んじているように思えてしまうけれど、前提としてオリンピックで優勝しながら朝鮮人としてのアイデンティティを否定されたギジョンの存在があり、ユンボクが彼に憧れているという構図を取る事に拠って、ボストンマラソンでのユンボクの優勝はギジョンが果たせなかった朝鮮人としての矜持を示す栄光へと繋がるわけだ

序盤において、ギジョンもユンボクもいわば体制の被害者となっていると感じた。ギジョンはアイデンティティを認められなかった不満から酒に溺れ、ユンボクは走る才能があるのに金稼ぎに傾倒しなければならない
ただ、それはこの二人だけが味わっているものではないという点が肝要なのかな。朝鮮人というアイデンティティを否定された時代から抜け出せた筈なのに、結局は別の国による統治が始まり自分達の暮らしは向上しない
中盤の募金シーンに現れるように、苦境から抜け出す為の何かが欲しいというのは多くの人間が抱いていたものであり、その何かに繋がる栄光がユンボクに託されたわけだ

ただ、そこに至るのが当然の流れとして扱われているわけではないという点も本作のミソかな
ギジョンは指導者経験が無いから選手達をまともに導く事が出来ていないし、ユンボクも母の治療が有るからマラソンに専念するわけにも行かない
おまけに二人は互いの事情をよく知らないし、互いに短気で頑固だから衝突してしまう。ここでスンニョンが緩衝材として割り込む流れは良かったな。というより、この人が居ないと物語そのものが破綻しかねなかったというか
レコードタイム等の面ではギジョンやユンボクが居なければラストの結果は有り得なかったけど、一方で人間性の面で彼が居なければチームは瓦解していただろうね

3人はそうしたバランスで成り立っている。それは国際大会で好成績を残せるだろうと容易く想像できる陣容。けれど、それでも残る難しさが朝鮮が国際社会から独立した国として認められていない現状だったのだろうね
特にアメリカへ渡航するのに保証人が必要な点や国旗を身に着けて走れない点は尊厳を無視しているとしか言い様がない
尊厳を示す為には国旗を掲げる必要がある。だというのに国旗を掲げるには尊厳を認めさせる必要がある

その矛盾を破る為にギジョンが行った演説は本当に良かったよ。ボストンというアメリカにとって特別な地で行われる特別な意味合いを持つマラソン。それこそギジョン達が求める独立の精神性が息づく環境であったというのが作品のクライマックスへ至る布石として機能している
レース開始時は実況者が朝鮮の場所を把握していない程度の認識だったのに、ユンボクが追い上げれば追い上げる程に彼の存在と共に朝鮮という存在が実況者を通して世界へ向け発信されていく。それは朝鮮という国が在るのだと、独立国家なのだと示す行為に等しいね


因みに本作を見ていて、最も驚いてしまったのが史実として明かされた御本人達がとても長生きし、その上で国の陸上競技に長く携わった点か
その点は彼らが自分の為ではなく、国の為に走り続けた何にも勝る証拠のように思えたよ