タカツテムの徒然雑記

主にアニメや漫画・ライトノベルの感想を投稿するブログとなっています。

『ジョゼと虎と魚たち』 感想

©2020 Seiko Tanabe/ KADOKAWA/ Josee Project

アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』公式サイト (joseetora.jp)

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以前に発表された実写映画は見た事がなく原作も知らず。事前情報がほぼ無い状態で今更鑑賞
原作小説が発表されたのが1984年である点が関係しているのか、根底にあるフォーマットの古さをほんの少し感じてしまうものの、恋愛物語としてはとても良い作品に仕上がっているとも感じられたよ


運命的な事故から出会ったクミ子と恒夫はジョゼと管理人という役柄に拠って結びついていくね。ジョゼは車椅子に乗りながら外の世界に憧れる女性として、管理人は外の世界からやってきた男性として
クミ子は絵を描いたり想像する事でしか外の世界を味わえなかった。そんな彼女を恒夫がジョゼから見た世界がどのような色をしているか知りたいからと連れ出してくれる構図
これだけを見れば、クミ子にとって恒夫はとても都合のいい男だね。祖母から匿われ高飛車な臆病者になっていた彼女を導いてくれる
様々な場所に行って、様々な体験をして、友達も出来て…
恒夫が居なければクミ子がそれ程の体験を一人でするのは難しかったかもしれない

でも見方を変えると、やはり恒夫はクミ子にとって外界の人間に過ぎないわけで
恒夫はクミ子のように何処へでも行けるし、海にも潜れるし、沢山の友達が居る
ジョゼと管理人の立ち場のままでは2人は世話される者とする者という関係性を乗り越えられない。外界に居る恒夫は更に外の世界にも行けてしまう。対して世話されるクミ子は恒夫の交友関係には混ざれないし絵の仕事だって満足に出来る気がしなかった
それでもクミ子がジョゼとして恒夫の傍に居る事で沢山の勇気も経験も貰えたのは事実だったのだけど…

クミ子を守っていたもう一人である祖母が亡くなった事でクミ子の日常は一気に崩れ去るね。彼女が外の世界を拒めたのも、外から安全そうな恒夫を呼び込めたのも全ては祖母が居てくれたから
彼女を守る人が居なくなってしまえば、クミ子は強制的に自立を求められて、自立できないならヘルパーが必要という話になって。それは自分の夢をどうこう言える立ち場ではないと告げられたようなもの
既に自立して自分の夢を掴もうとしている恒夫とは雲泥の差となってしまうわけだ。それを間接的に健常者とそうでない者と表現するなんて、クミ子がその内心に何を抱えていたかが見えるかのようだったよ……

そのタイミングで恒夫が障害者と成りかねない大怪我を負ってしまうのは運命の悪戯としてもあまりに酷いと言いたくなるもの
でも、この境遇を味わう事に拠って恒夫はクミ子から見た世界がどうなっているのか、彼女が抱える夢への難易度を知る事が出来る。一方でクミ子は恒夫がもし歩けなくなったとしても夢を諦めて欲しくないとの想いを自覚できた
あの一件は2人の想いを大きく揺さぶるものとなったね

そうしてジョゼが作り上げた絵本は素晴らしいものに
恒夫をどう見ていたかが判るようになっている点も良いのだけど、個人的には貝殻の役割に感銘を受けたり。
貝殻には別の願い事をしてはならなかったけど、翼有る男性への願いは良い事として人魚を肯定される
これをクミ子と恒夫の関係に落とし込むと、貝殻は絵に相当するのかな?クミ子にとって絵は趣味で出来れば仕事にしたいもので自分の為のものだった。けど、傷ついた恒夫の為に使った時にクミ子の絵は意味を持ち、恒夫を再び歩かせる原動力となった
でも絵本にて二人の道が分かたれたように、既にクミ子は恒夫との別離を覚悟していたわけで。絵本がクミ子の想いそのものなら人魚のようにクミ子は海の底へ戻っていかなければならない

でも、やはりそれは絵本の話なんだよね。クミ子の絵に勇気を貰った恒夫の想いまでは含まれない。何故ならそれをクミ子は知らないから
最初に出会った時のように運命的な再会をした2人が交わすは思いの丈。雪景色をバックにした告白シーンはとても美しいものでしたよ…

そう思えただけに、巡った桜色の季節にて夢と恋を叶えた2人が仲睦まじく過ごす光景には余計に感動してしまったり