『ゆめみる少女』のコミカライズまで終わってしまったものだから、『シスコンアイドル』のコミカライズは無いものだろうと思っていただけに少し驚き
コミカライズシリーズの例に漏れずのどか視点を増やした本作。そしてのどか視点とした事で逆に減ったのは麻衣視点。原作とは異なるバランスにて制作された本作はこれまた違った趣を感じられる作品と成っていたね
コミカライズならではの良さは冒頭からいきなり現れていたね
原作だといきなり麻衣の家にやって来たのどかについて、まずは舞台や自宅における彼女の生活を映してから原作シーンへと至っている
そこには彼女なりにアイドル活動を楽しんでいる様子も麻衣に憧れを抱いている様子も描かれている。だからそれらを否定する母親への蟠りも見えてくるし、彼女が自身の在り方に迷いを抱かざるを得ない環境にいる事も見えてくる
そのような始まり方だから、麻衣とのどかの身体が入れ替わる思春期症候群も原因不明な現象ではなく、のどかの願望に原因が有るのだと察せられる構図と成っているね
それにしても、アニメを見た時にも思った点だけれど、麻衣とのどかが入れ替わった事で二人の雰囲気まで入れ替わってしまう表現は特徴的
この時点で二人は完璧な入れ替わりが行われたわけではないと視覚的に確認できるね
また、視覚情報という面では咲太のぬぼ~とした印象も強調されていたような。そりゃ憧れていた姉の交際相手が冴えない相手だなんてのどか視点だと「なんでこんな男が!」と信じられない気持ちを抱いてしまうよなぁ(笑)
入れ替わりネタの定番である別人になりすました状態で別人の生活をトレースする展開は問題なく始まるね
麻衣ものどかも学校に友達は居ない。この点において二人に差異は生まれない。同じ要素を持つなら入れ替わりは問題なく過ごせるかと思いきや、差異が見えない点がのどかを追い詰め始めるね
のどかは姉を大嫌いだと言ってしまった。一方通行な言い掛かりと思えたそれは麻衣も同じように嫌いを返した事でのどかを崩し始めてしまうね
決定打と成ったのはCM撮影のワンシーンか。ただ微笑むだけという自分でも出来る筈の演技がのどかを追い詰める。結局、自分と姉は全く違うという実感がのどかに姉のようには成れないとの諦めを得させたようで
のどかは麻衣のように成りたくて。けれど麻衣の姿で過ごしても麻衣には成れず。ならばのどかはのどかに成るしか道はなくて
だとしたら豊浜のどかの大元とも言える母親の登場は彼女にどのような実感を齎す事になるのだろうね?
描き下ろしにてようやく麻衣側の心情の一端が描かれたくらいで本編を通して麻衣の心情は出来る限り描かれていないのは本当に良いね
原作ともアニメとも異なる魅力を放っているように思えますよ
