
(C)2024 CINE NOMINE - M6 FILMS - AUVERGNE-RHÔNE-ALPES CINEMA - SAME PLAYER - KABO FILMS - ECHO STUDIO - BNP PARIBAS PICTURES - IMPACT FILM
強盗が失敗の果てに本来の計画に無い行動を取ってしまうストーリーラインは別段珍しいものでは無いかもだけど、本作の場合は紛れ込んだ先が障害者のキャンプ集団だった点は特別な点であり、本作の枢要を成す点だね。障害者だから特別という話ではなく、健常者として社会を生きるパウロとラ・フレーズが障害者と介助者のフリをする事になった点に特別感があるように感じられたな
この特別感はサムシング・エクストラを特別に描かないからこそ成立する特別感だね
障害者ならではの行動に翻弄される様をコメディとするのではなく、パウロが障害者の真似をして上手くいかないシーンを笑いとするのでもなく、普通に楽しんでいる彼らの中に混じっていく事を普通に描いているが故に独特の特別感が生じているように思えた
かといって過度に普通さを強調しているというわけでもない点は面白い
「彼らも普通なんだ」と強調するでも「差別されてるんだ」と描くわけでもない。何というか当たり前にそこに居る
本作を見ていると面白い点として浮かび上がってくるのはパウロとて本当に健常者と扱って良いのか?という点をほんのりと突いている点だね
中盤で彼が父親を語る際には「真人間になれ」とかそのような意味合いの言葉をよく言われると語り、また事ある毎に父からは馬鹿にされる描写が存在する。そもそも彼としてはドイツ人のフリをしているだけの格好が「シルヴァンだ」と、つまりは障害者だと何の疑いも持たれないくらいにあの時の彼はそういった見た目をしていたと言えるのだろうし
この見た目から判断するのは幾つかのシーンにおいて散見されたね
パウロが他の障害者の真似をする際にはまず見た目から入ろうとしたし、アリスの婚約者が彼女をアメリカへ連れて行こうとした際には「障害者はアメリカにもいる」なんて外面しか考えていない言葉を履いて拒絶されるし、アリスが優先レーンで買い物しようとした際には彼らの見た目が“証明”となった
見た目から得られる認識とはつまり思い込み、そして思い込みとは他者を枠に嵌めようとするもの。判り易い例では駐車場の優先スペースなんてのがあるかな。そこに証明書もなく停めている車は健常者だろうと思う。アリス達はそのような目に遭うのは頻繁だから優先スペースに止められた車は当然のように罵倒する。それはおおよそにおいて正しい認識なのだけど、裁判所のシーンではまさかの車椅子ユーザーが証明書を出し忘れていたというオチ。これに自分はアリスが好きと思い込んでいたマルクが一目惚れするというのも意外なオチ
この思い込みが時を追う毎にパウロの中で減っていくのが本作の良さに繋がっているね
序盤は障害を持つ彼らを見た目から模倣しようとした。それは彼らが見た目からして違う存在だと捕らえていたから。そうして外面的な部分だけで判断していたから、アルノーの行動に翻弄されるし、正体を見破られた事に動揺する。しかし、フリを続けて混じり行動する内に障害者と自己の境界が無くなる、つまりは思い込みが無くなる様子が見受けられた
だからか、買い物の際に店員から向けられた視線にショックを受ける。これは序盤のパウロでは決して受ける事のなかっただろうショックだね。彼らに交じって楽しめるようになったからこそ、自分達への批判的な視線に気付き、良くないものだと感じられた。直後、巫山戯ていた態度を変え、アリスを手伝うと申し出る事で自分達への外面から来る評価を変えようとしたパウロの行動、それを見た店員の視線の変化は色々と思うところのある表現でしたよ
パウロはサムシング・エクストラに混じる事で同調意識を強めていく。ならば彼の父親であるラ・フレーズはどうだったかと言うと受け取り方が難しい立ち位置だね
宝石強盗を主導した人物だし、パウロや皆への態度も非常に雑だし粗暴。介助者としての成長も適性も全く見られない。なのにバティストとだけは不思議な程に馬が合う。当初は彼を邪険にしていたし、ボールを蹴った件なんて本当に酷い。けれど、バティストがクリスティアーノ・ロナウドを好んでいる事を把握(他の面子については中々名前を覚えなかった描写と対称的)し彼を「ロナウド」と呼ぶし、バティストの靴紐を結ぶ際に駄々をこねていたシーンでは彼を上手く乗せてさっと靴紐を結んでいる。またバティストと長時間に亘ってサッカーに興じていたのも特徴的
これを単純に馬が合ったと表現する事は出来るだろうけど、つい深読みしてしまうと小さい頃のパウロがバティストみたいなタイプだったのではないかと思えてしまう。バティストと遊ぶ内に忘れていた父性を思い出したのではないかと
だからか、もう一人の息子のように感じてしまいクリスマスに特別な贈り物をしたのではないかな…。そうして息子のような相手の事を考えている内に本来の息子であるパウロへの見方も変わり、自首であったり彼への贈り物を用意しようと思ったのではないかと…
まあ、あの贈り物の原資って……と考えてしまうと諸手を挙げて賞賛するのは難しかったりするのだけどね(笑)
本作を鑑賞していると特に感じるのがサムシング・エクストラである彼らの在り方がとても自然な点かな。当事者を役者に起用したというのもあるんだろうけど、彼らの在り方を制作時点から否定せず、それでいながらそれぞれの特徴を上手く引き出して映画に落とし込んでいる
それはスーパーマーケットのように大勢の人が入り乱れる場所だとジロジロと見られてしまうかもしれないが、他方で彼らだけで構成された場所だとキャラクターが立っているようにしか見えない。特に皆で料理をしている場面なんて本当に楽しそう
そのような何の思い込みもなく楽しい環境は誰かが用意したものではなく、内に居るそれぞれが作り出したもので。そう皆が感じたから「己は障害者だ」とパウロが偽っていた事は裏切りと感じつつも、彼が混じっていたキャンプはとても楽しいものだと、楽しさに混じっていたパウロは悪人ではないと皆が主張するに至ったのだろうね
特別だけれど特別ではない。特別ではないけれど特別なキャンプ模様と人の暖かさ。そのようなものを感じられる作品と感じられましたよ
あと、本来のキャンプとは全く別の集団に混じったのに何の問題もなく最高に楽しい時間を過ごした本物のシルヴァンは色々とぶっ飛んだ存在だったなぁ(笑)